昭和41年08月24日 夜の御理解
お昼の食事をしてからでございました、山口の長田先生がみえておらた。お話しておるうちに私眠ってしまっとるんですよね。大変失礼なことと思うんですけれど。まぁ誰だって眠いようにしとったでしょう。先生もうあの休みの時間、どうぞ眠ってく下さいち言う様な事、いいよいいよ言いながら、どげん言ようと(?)眠ってしまった。そして皆さんにしたら(?)。その眠っとる間にですねお夢を頂いた。それはあの麻生さんがね、私をあの自動車に乗せてどこかに連れて行きよる。
それで着いたところがどうも、病院か何かのようにある。あらこげんとこに連れて来てここは何のち言いよったら、ここは先生あの眼科医でございます。ですからここにいっぺん診察をなさらないかんと思ってから、あのち言うてから私、眼科医の病院に連れて行ったところにですね。そしてそこから帰らせて参りましたら、栄四郎がちょうど普通のその今着ております、あの洋服の上から寝巻を着て暑そうな感じで、あの向こうから来よるのを出会いました。
あら今日はあの、あんたは北野に行くとじゃなかったと言うただけで、栄四郎はものも言いませんし、そしたらもう暫くしとったら、こう豊美が頭が熱がありました。あらあんた今日はあの荒戸教会に、昨日からあの楽のお稽古があっておりましたから、典楽会で。善導寺から参っておりました。いっとったじゃなかったねち言うたら、それも私は言うただけで返事をせずに、やっぱりこう言っておるところで目が覚めたです。
それで私はその時思ったら、それからですね、二、三時間致しましたら、あの麻生さんがあってある訳ですね。何か麻生兄ちゃまは事故があったらしい、すぐお父さんに変わってくれと言う事です、とこう言う事なんですね。それで私はすぐ出ましたんですけれども、非常に興奮した大変広大なおかげを頂きましたぁ、というのがまぁ一番口でした。そしておかげを頂きましてか、らあの左側のドワがちょっとまぁ(すじだて?)のおかげを頂きました。どうぞお礼申し上げて下さい。
取り合えずと言うてと電話を切ったんですけど。相手のやっぱ自動車も、その事は聞きませんでしたけれど、広大なおかげを頂いたと言うて電話を切ったんですけども、そのまぁ自分はあなたはて言うたら、私はその左の腕にちょっとこう血が出寄る位、かすり傷した位ですとこう言うんです。詳しい事は分かりませんけども、ははぁ今さっきから麻生さんが、自動車乗った御夢頂いたがと、私は思うとですね。
あの自動車は買わして貰う時に、もうこの車は御用のために使う車だと、自分でも思い込ませて頂くくらいいろいろ、お知らせを頂いておりましたんですけれどもね。それがもうこう、昨日、一昨日だったでしょうかねあの、秋永先生ところの御月次祭の時に渡辺先生を向かいに行ってくれと言うてからその、秋永先生は頼んだけれども行くごとなか、ちゅうちから行かじゃったというわけなんですよね。
でそげんなことがまぁあれはですね、あのほんとにこっちらが御用を頂きたいという気になったら、神様がもう芯から御用を頂かせて、そしておかげを下さろうだけじゃなくて、それによって何かを下さろうとしておる時ですね。ですからもうそのほんとに御用を頂こうと思ったら、本気で御用を頂きぬかないかんです。と言う事を私今感じたんですけど、と同時に私が、私を眼科医に連れて行くと言う事、どう言う事であろうかと私は思うてみたんですね。
信心する者は肉眼をおいて心眼を開けよ。恐らくあれは、勿論普通の眼科医じゃなかったろう、心の目を見る診察して下さるところの病院であったろう。なら何時間後に麻生さんがそういう事故起こすということでも、ただ広大なおかげを頂いたねいうだけではすまされない。それを肉眼をおいて心眼を開いてみよということであろうと私思いましたですね。同時に私はこの様な事にまでに肉眼、心眼と言うの事はほんとは使ってなかったな自分で思うんですけれども。
例えば、今日、栄四郎達が兄弟であの、久富先生のところに天満宮さんの御祭りに呼ばれて行っとるんですよ。これじゃ例えどういうふうに昨日から荒戸に行っとりますけれども、ただ行っておる、ただそのおかげ頂くようにじゃなくてですね、そのことを思って、私はそのことを心眼で見なければいけないということだと思ったですね。心眼をもってすると、ほんとに典楽なら典楽の御用じゃない典楽のお稽古だけじゃない、神様から何かを教えて頂けることのために福岡行きしとるんです。
ただやってるならです、(そのものに御礼を申しあげならん、と言う事だと思いますね。栄四郎の場合でも同じ事、子供ながらもです。やはり椛目におるのと、北野におるのがどの位相違のあるもんか、まぁそれは分かりませんにしてもです、何かをいわば子供ながらにも、分からせて下さろうとする御神意が、久富先生とこに招かれたのが、兄弟二人行っておると言う事ですから。
その事がただ無事に帰って参ります様にだけでは、かくてです、神様がそういう中に何かを分からせて下さるとする働きを、私としてはお礼を申し上げなければならない。ただ御神眼に頂かせてもらったところから見るとです、普通のこの洋服の上に寝巻きを着てというのは、暑い思いをすることだろう思うんです、よし今晩あそこに泊まるなら。二人とも私の部屋に休みますから暑いこと知らず休んどりますもんね。ですからほんとにやっぱり家ではおかげを頂いとるなと子供ながら思うだろうと、思うんです。
そう言うな事もやはり心眼で見れば、はっきりしてくるじゃかろうかと思うんですね。今日はあの人達が出かけに、丁度ひさあきさんが向かいに来とりました。それにあの往復バスで参りますと百円かかるそうですね。で、三人バスで行くというか、ほんのわずかおこづかいの中から、百円も使いよったらあんた二百頂いてっちゃ百円しかならん。それよりかあんたはここからもう歩いていけと私は言うんですね。
今日久富先生がみえてからですもん。あの久昭がもう僕らは中学生けん百円ばってん、僕だん小学生で乗るけんで百五十円でよかち。それで向かいに行くけんで百五十円くれんのち、言うてからそのまぁ言うたち言うんですね。バスで行く筈だったらしいけれどね。そこにいきゃあの私を、久富先生のちょっと違い感じますですね。私は百円、二百円その問題ないですけども、ただほんとにですね、もう歩かした方がいいと私思ったんです。そして三人で歩いて行った方がいいと、こう私思いましたから歩いていけと。
あれでもう御土産をこう二人で下げてから、その行くならまた楽しい事だろう。まぁいっとき待ったら自動車が来るかもしれんばってんね、というてまぁとにかくまぁ、待てしばしじゃない、もう早う行きたいと言う訳で正に二人とも参りました。参りましたらすぐその後にあの、清さんが商用に行って帰り掛けて又よりましたから、あぁ今そこに子供達が行きよるけん、追いかけていって乗せていってくれと言うたんですけど。
恐らくは成る程、お父さんが歩けと言うたが歩け、ね、神様がちょっとおかげを下さった位な事はもう子供ながらも、ここで御理解を頂き頂いておりますから、それをおかげと頂く事であろうと私思うんですよね。もう北野まで歩く積りで行ってるんですけれども。もうそのそこへんで拾うて貰ってる訳ですね。いやもうその三百円儲かっただけではなくてです、こんなおかげを頂いたと言った様なものも、いやそういう中にでも分らせて下さろうとする働きです。ね。
そういう働きのところを分かることが肉眼をおいて心眼を開くことだとこういう。ね。そう言う事の上にまで、私は肉眼をもって、心眼をもって見ると言う事を(?)なとと言う事を気が致しました。子供達が福岡に行っとります、北野に参ります。ね。これから先どういう働きを頂くやら分からん。そこに神様の教導というか、神様がいろんな事を教えて下さるであろう。そう言うな事をに対するだからお礼を申し上げなければ。お礼を申し上げると言う事が肉眼をもって、見るではお礼が申し上げられない。
心眼をもってしなければ分からない。ね。それは分からない、どう言う事か分からないけれども、そういう働きを頂いておる事だけは分かるというのが肉眼をおいて心眼を開いた事だとこう思うんです。麻生さんのその事故の事においてもそうです。これは私自体がただ大難を小難で祭り頂いたというだけではない。成る程麻生さんが私を眼科医に連れて行かなければならない理由あったなと言った様な事を思ったんですけどね。どうぞ皆さん、肉眼をおいて心眼を開けと言う事はどう言う事の中にでもやはり心眼的な見方というものがあると言う事ですね。
どうぞ。